この小文は、RWAの党への飛躍へ向けた昨年来の組織路線をめぐる討論の中に提起するものである。現在まで出されている統一見解、M論文、H論文との関係は、それらの文章を手元に保持しえていないので、いささか曖昧な形にはなるが、内容上は十分かみあうと考える。
これまでの討論が問題として来た事は、我々の組織が党的に自己確立すること、別の表現をすれば、現実的普遍性を組織の形をとって定立することに失敗してきていること、すなわち解党的傾向に不断にさいなまれながら党建設を進めていることからくる停滞を根底から突破して前進しなければならないというギリギリのところに来ているという問題意識の上に、組織論上の限界をどのようにつかみ出し、それを突破するかという形で行なわれて来たと考える。
情勢と闘争の深化は、具体的に、しかも鋭い結果をもたらしながら限界を暴露していく。70年安保を前後する戦後第二の革命期の突入の中で、60年代の戦略、組織論が革命期の情勢の下で、段階的に発展させられるべきであった。しかし、戦略、組織論としては、RWAの綱領を含めて、60年代のものを、すなわち安定期ないしは動揺期のものを再編せずそのまま革命期の情勢下にもちこんで70年代の前半をくぐってしまった。しかし、このことも当初は一般的に不十分性と思われ、RWA結成後年月もまだ短い、ないしは、RWA結成時に間に合わなかった共産主義的前衛組織の再建を近年中に実現するという計画なども語られ、闘争の波の中での運動、活動上の自然な深化、発展が戦略、組織論上の洗い流しを進めていくことを実際にくぐっていく過程を通して再編、飛躍が進んでいくかに見ていた。
しかし、70年代前半が終わり、革命期の深化(ないしは革命期の新たな段階への突入)の中で、もはや一般的な不十分性ではない、限界、この壁を突破すること抜きには全てが前へ進まないという壁にブチあたってくる。それは次のように表現し得る。党(観念的に描くものではなく、むしろスターリニスト党をはじめとする現存するないしは現存した党を我々なりに止揚して把握し考えうる党という意味での党)に近いものを作り出すことが出来るが、党そのものを作るには、解放派には命がけの飛躍が必要であり、これに失敗するならば、解放派には党を建設することは出来ないという最後のツメに追い込まれているということである。
解放派は、スターリニズム、トロツキズム、それのみならずボルシェビズムを超える真実の革命党の建設をかちとると宣言して結集し、前人未到の道をひたすら歩み続けてきた。それのみが革命に勝利する唯一のこれまでの敗北を総括した方針だったからである。ここに解放派の基本的精神があると考える。その意味で解放派は新左翼であると考える。(旧左翼でも新左翼でもないようなことを口にする同志がいるが、それは新旧の谷間におっこちた中間主義である)
50年代後半から60年代に生み出された党派が前提としている旧左翼の否定―止揚の新たな活動の流れの中にあって、見せかけの新左翼を超えて新たな党を建設する闘いは、今日の情勢から言っても、又、それに規定された今日の、真実の社共を超える新左翼は果たしてどの党派であるのかという決着をめぐる党派闘争から言っても、出発点での課題が現実に結集させられ、その現実的力で決着をつけねばならないという局面にさしかかっている。
我々は、ボルシェビズムを超えた党を建設するという目的の実現の直前で数年間にわたって足踏みしている。この足踏みの刻一刻が命取りになりかねないような危険なものとなって積み重なろうとしているように思える。我々は、今、我々が直面している壁を正確に対象化し、正面から突破していかなければならない。これまでの見解は、その壁が何故生まれて来たのかということについての解明が弱いように思われる。
或る未分化な一般性が、ある段階においてはむしろ現実的であり、それでいい場合のほうが多い。しかし、次の段階においてはもはや未分化な一般性だけに固執し、そこに拘るならば、新たな課題、新たに生み出
されるエネルギーと意識とのずれを示し、それを抑圧するものになってしまう。その場合次のことが問題である。第一には、未分化なままおしとどめられていること。その事に主要な原因がある場合は分化発展させれば良い。第二には、未分化であることによってその限界が隠されており、そのことが原因で未分化のまま発展させられることがなく、又、発展しない、発展する論理が内包されていないという場合は、逆のぼって検討し、もって分化・発展をかちとる必要がある。第三には、未分化であるが故に、その誤りが隠されていたような場合は、根本的に誤りを突破する大胆な検討が必要である。
解放派の出発の仕方がマルクス主義原則の復活ということから行われているから、原則の抽象観念化からの発展的展開の過程において、以上の点を正確にしなければ間違いを起こすことになる。ある部分的な限界を把えて、全体にわたる検討を行うということは大切なことではあるが、全体を、ないしは原則的な確認点をも否定してしまうようなやり方が見られるからである。又は、ある傾向を把えて、その傾向が発生する原因の分析抜きに短絡的に、あるいは弱い発想でそのような傾向を生み出した場から身を引き離すことで事足りてりとしたり、更には、その主張の正当化のために原則そのものを歪めて修正したりするような傾向が見られるからである。出来あがった主張は、解放派の原則から離れた、ボルシェビズムへの単純回帰にすぎないようなものにさえなろうとしている。解放派の解放派たる所以のところを外して問題をたてるのなら、解放派をいかに評価し結集したのかという、その人間の思想性さえ問われるような問題である。逆に言えばシンパ的存在ならいざ知らずメンバーである場合は、そのような主張をするのであれば、解放派の発展ではなく、その解体を主張するべきなのである。
たとえば、次のような主張は一つの典型である。前衛が存在すれば、大衆は存在するのであるから翌日から党が形成出来るというような主張である。前衛と大衆の統一として党があるということは概念の関係として述べていることである。それを直ちに実際上の党建設の方法ととりちがえて、どんな前衛主義者でさえ考えつかないような主張を行うような場合は、もはや解放派の原則から外れるばかりか、それは観念論者の仲間入りになってしまうような例である。このような主張は目新しいものではない。ブンドは昔から語っていることである。だからその主張は、ブンドが正しかったということを語っているのかどうかについてむしろ語るべきなのである。そのことを明らかにしないでそのようなことを語ることは許されない。さもなくば、党派性の解体である。
とまれ、この方法をはっきりさせて総括・方針を明らかにしていきたいと考える。
60年代においても戦略・組織論及び階級形成論は、権力との闘争、及び党派闘争を通して繰り返し限界を問題にして来た。それは学生戦線では、7.2対革マル闘争と早大の「総括文書」、68年対革マル闘争及び、全体では東京地本分裂、革同分裂問題を通して出されて来たところの未分化な一般的理論確認上の幻想的一致が、具体的問題の前にバラバラになってしまうないしは、「解放派的」思想・行動集団を形成し得ても、強な組織性をもった組織を定立することができないという苦闘の連続であった。だが、大きくは70年安保闘争へ突進する力を持ち、唯一、労働者階級の階級的独立のために闘い抜いて来たのである。
しかし、70年安保闘争をくぐって、革命期の激闘に備えてそれに耐え得る組織に飛躍し革命に勝利するための理論と力をかちとっていく作業は、基本的に失敗してきている。その失敗の原因は、60年代に確認された原理論的領域における理論が、革命期に入って展開しない限界性をもっていたからに他ならない。と言うのは、飛躍へ向けての作業が不断に原理論的に否定される、ないし、関係ないとされる傾向――それは単に60年代的政治感覚に保守的になっているのではなく、革命と革命党をカッコに入れ、その課題の直前にとどまってしまような理論的傾向が原理論の中に含まれているからである。――が、その作業を不断に打ち消しているからである。
今日の革労協の中にある解党的傾向の原因を解明するためにまず最初に必要なことは、安定期(ないしは動揺期)から革命期への飛躍にかんして、戦略論及び組織論、及び両者の媒介となり統一するものとしての
階級形成論上の検討を行うことである。そのことを通して解党的傾向を発生させるのみならず、それを「肯定」する「理論」を明らかにしそれを突破しなければならない。根本的には組織?理論にまで検討を行うことである。この上に立って、革命期の深化した段階においては、権力、宗派との闘いに勝利する闘争と団結、指導力が具体的に問われる。この具体的な歴史的要請、課題との関係を通して自己を点検する中で問われている諸問題を通して、結論は党建設論として煮詰められるべきである。
「解放『6』」及び「永続革命論」は、スターリニズム、トロツキズムを超える共産主義前衛の問題について課題にし、疎外された前衛に対する真実の共産主義前衛の問題を明らかにした論文であり、共産主義者たらんとする人々に対する呼びかけの文である。従ってボルシェビズム批判は、その位相を前衛論としてもっているのであり、ボルシェビズム総体に対する批判ではない。すなわちボルシェヴィズムがもっている前衛組織としての問題と党組織としての問題(あえてこのように問題を分けてとり出して見た場合)については、前衛組織としての問題からかみ合わされている。その限りにおいて、共産主義、革命的マルクス主義の別の言い方をすれば、共産主義前衛が基底的原則としなければならない点を明らかにしていると言える。だから「労働者階級の解放は労働者階級自身の行為でなければならぬ」ということは、実は、共産主義者が踏まえるべき命題として明らかにされた事である。『6』『永革』の意義はこの点にあるのであり、その発展ということは、前衛論ないし、共産主義論として発展させられるべきである。誤解なく言うならば、共産主義前衛組織形成の中で論じられればいいことである。
『6』『永革』は、従って精神労働者にとっては、精神労働と肉体労働の問題、存在と意識の問題等について、精神労働者の側からの一定の原則的解答を見い出し得るし、又、そういう視覚からボウルシェビズム批判を前衛論上の問題として把えることが出来るであろう。そういう意味で、スターリニズムを超える真実の前衛組織の形成という命題との関係で『6』『永革』は重要な位置を持っていると言える。
問題はこれからである。『6』『永革』を理論的な軸として実際に潮流を形成し、“解放派”を形成する中で起きて来たことは何かということである。
共産主義的前衛をいかに形成するかという一つの発達した位相の問題意識において、前衛組織形成を目的とした潮流として“解放派”が形成されたのではない。一つの党派的政治潮流として、すなわち党的位相を基本性格とした潮流として形成された。ということは矛盾したことであるが、前衛論を理論的軸とする党的潮流ということである。では、党的位相は前衛的位相と区別されて何を根拠にしているかと言えば、前衛的位相から「踏まえるべき点」として出される主張が、党的位相からは「自分たちが確認すべき点」となるという構造になる。ここから次のように問題が変化していく。「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業」であるということを自分たちの確認点として、そこからボルシェビズム批判を、前衛論としてでなく、党組織論の位相において把えるという構造に入る。疎外された前衛としてのボルシェビズムの止揚と区別された疎外された革命党としてのボルシェビズムの止揚ということが明らかにされない以上は、実は、ボルシェビズムについて党的位相からではなく前衛論として批判することを事足れりとしているということである。すなわち、ボルシェビズムの革命党としての止揚は空白にされているということである。その事は、潮流としての“解放派”の党派性ということから見れば、前衛的位相において把えなければならないことを党的位相において把えるのであるから、歪んだ形において、たとえば例をあげれば、「外部注入論は理論的に誤りである」ということが、「外部注入を拒否する」という具合に把握され、階級形成論も、共産主義=永続革命という視点から把えかえされた意味は、実際のあるがままの団結の具体的な姿に「革命的とはプロレタリア的と言うことであり、プロレタリア的ということは革命的ということである」(『6』)という意味付与をもって“党派性”としてしまうことになってしまう。
この事を組織論的に把えてみれば次のような問題となる。
『6』は、共産主義者の結集体としての「党」という組織論となっている。(これは『永革』のなかでは「共産主義者又は前衛党」という形で説明されているが、前衛組織と党組織の概念の混乱がある。はっきりと共産主義前衛組織と階級政党の区別だてをしなければならない)
現実には、潮流としてみれば、それはうすめられた共産主義前衛組織ないしは、前衛シンパ組織、従って精神労働者と肉体労働者の両側から自己に引き寄せて理解した把握の混然たる集団としてしか存在し得ない。『永革』では、この『6』の前衛組織と党の未分化な点を分化して党の位置を明らかにしている。しかしそれは階級形成を基礎とした党の建設という方向で述べられるのではなく、(それは後で「行動委からの党」という形で整理される。)階級形成論を団結論に移行させ、それに永続革命であるという意味を把えかえす、すなわち、「共産主義とは、――プロレタリアートの革命的団結、世界史的結合そのものの生産であり『人間的社会』そのものの生産である――そしてこの生産過程が永続革命にほかならない。」(『永革』)
「永続革命は、現在の直下に進行するあるいは隠れた、あるいは公然たる、世界革命=万国プロレタリアの革命的団結そのものの生活過程、生活法則として共産主義そのものである」(永革)という形で、階級形成論の意味を、精神労働と肉体労働の分業の止揚という命題から把えるという展開になっているのである。従って『6』の前衛組織としての「共産主義労働党」の形成という方針自体はそのままになっているのである。
この潮流としての“解放派”は、党的位相をもちつつうすめられた前衛組織又は前衛組織のシンパグループとして、三つの傾向を必然的に流れとして含むことになる。第一は、既成党派=スタ、社民、トロツキズムを超えた真の共産主義的前衛組織の建設を目的とする部分、第二は、レーニン主義、トロツキズムに反発する「労働者主義」として、第三は、社民内の左派的部部分である。これが、安保と三池の現状という歴史状況の中から、社青同内の分派として形を取って登場したのである。
このことを把えかえすならば、共産主義的前衛組織の形成が課題であること、そして、小ブルとの癒着を断ち切ったプロレタリアートの政治的独立=階級形成を基礎とする党の建設、それはとりあえず社民内分派闘争として貫徹されるべきことを明らかにしたこと、この2つの課題を未分化に含んだ“潮流”としての解放派の時代であると言える。
しかし、具体的な問題は次の点にある、階級形成論を基礎にした党建設論が、当の問題として(前衛の問題としてではなく)ボルシェビズムをどのように超えるべきかについては、ほとんど明示されず「ボルシェビズム批判」がしかし、その位相にとりこまれていくことによって生み出されるボルシェビズムとの関連の中にある党派性とは何かということである。
それは、不断に解放派の「弁慶の泣きどころ」としての位置をもっていた。すでに64年、学協解放派早大細胞は組織総括問題として、解党的傾向の原因は、ボルシェビズムの否定とローザの過大評価にあるのではないかという問題提起を行っている。すなわち、党次元の組織論上のボルシェビズムとのせめぎあいが空白であるにもかかわらず、その次元の問題意識に前衛論上の批判がぶった切り的にあてはめられることによって生み出される解党主義的傾向に対して、そのせめぎあいの作業を通らずにボルシェビズムの単純な再評価が必要なのではないかという裏返しが出て来るという形になっているのである。
これはいろいろな形を通して繰返し、一方における自然発生性に拝跪する解党的傾向、他方におけるボルシェビズムへの単体回帰としての解党的傾向として現れてきたのである。結論的に言えばボルシェビズムとの関連での党派性は、共産主義論、共産主義前衛組織論次元における確固たる優位性と、党次元におけるブレとして2重にもって進んできた。それは理論上・方針上の論争の勝利と組織戦における劣勢として現象してきた。
それは、共産主義的前衛組織建設の失敗によって一層党次元の混乱は大きくなって来たのである。
更に、70年安保闘争を通して「革命党としてのボルシェビズム党」の止揚という問題意識を通してそのブレは新たな性格を持つものとなって来ているのである。
すなわち、これまでの前衛の問題として区別された党の問題としてのボルシェビズム批判と、革命党としてのボルシェビズム批判が一つに重ねられて問われるということになったのである。この事に解答を出していくことが長年にわたる解放派の問題の解決になると考える。
先にも述べたように、『永革』の中では、階級形成論は団結論と重ねられて、共産主義論との関係で主要に述べられている。それは、共産主義は「プロレタリアートの階級への形成の内部で進行するプロレタリアートの世界史的結合」そのものの生産であるという形で要約される。そういう意味から把えられた階級形成論として、この階級への形成の原点とその飛躍ということが述べられている。
共産主義論の中での階級形成論、及び団結論、それは永続革命の全発展過程として把えられるということでそれはその意味を終わる。
しかし、戦略=組織論との関係の中にある階級形成論はとしてはまだ一般的である。
党建設との関係で階級形成論を展開した基礎的文章は革労協テーゼである。これは、永続革命論を引きつぎつつ党建設との関連を述べている。
「V・7・行動委員会(または労働組合運動)は、資本との直接の攻防戦の向うに、階級の共同の敵を見出しはじめるや、党を生み出し、また党によって行動委員会は結びつけられて発展し、党が行動委員会を普遍的な社会的、政治的運動へと系統的に推し進めることによってはじめて、現実に断固たる階級運動として発展することができる。こうして階級対階級の闘争、政治闘争が発展する。この闘いの中で、来るべき決戦に必要なあらゆる要素(労働者の数・団結・知識)が結合し発展する。」という形で団結の原点とその発展・展開が述べられている。
この階級形成論は、「階級の共同の敵」に対する「階級対階級の闘争、政治闘争」との関連の中で「労働者階級が階級として行動するための」党の性格を規定し、「来るべき決戦」=革命に向けては「発展する」のだとしている。
経済的団結と政治的階級的団結との関係を行動委と党との関係として整理しているのであるが、その階級的団結を「普遍的団結」であると規定するところに問題が生じる。
「U・6・労働者階級の党は、労働者の団結の出発点を内部から結びつけ、統一し、秩序付け、発展させるものである。部分的団結のなかで、階級的政治的に発達した諸個人を党へと構成し普遍的団結へと結びつけ推し進めるものである。」(テーゼ)
「資本との直接の攻防の向うにある資本家階級の利害と労働者の直接的要求の底にある階級的要求を引き出し、それによって部分的団結を超えて階級的団結につくというようにして、その小市民的世界が初めて突破されていくのであり、要するに労働者にとっては、労働者の直接的要求、部分的団結→階級的要求、普遍的団結としてはじめて独立した階級としてふるまうことができる」(テーゼ参考資料「行動委運動の中からの党」)
このように「階級的団結」=「普遍的団結」=「労働者階級が階級として行動するための党」と結びあわされるのだが、この背景には、「団結において労働者諸個人が発達する」(テーゼ)ということと、「この闘争の中で、来たるべき決戦に必要なあらゆる要素(労働者の数・団結・知識)が結合し発展する」(テーゼ――これについては、「この闘争」がテーゼでは「階級対階級の闘争、政治闘争」を指しているが、「哲学の貧困」では、資本との攻防のことを指しており、政治闘争はその結合と発展の結果として述べられている。その政治闘争は「階級の階級に対する闘争、その最高の表現においては全体的革命となるところの闘争」と
いう形で革命との関連が述べられているのである。テーゼは、政治闘争=階級闘争の中で革命へ向けてあらゆる要素が結合して発展するのだとしている――ことを根拠に自然に発展していくものとして把える位置付けがあり、あとは実践と指導の問題としている。この論理は、原点とその階級的発展の全過程の推進がもつ共産主義的意味を明らかにしているが、推進を勝利にくけて実践していくための理論としては極めて一般的なものになっている。
だがテーゼはここでとどまっているのではない。
「V・8・労働者は、〈世界史的個人〉である。資本家のもとへの労働者の社会的隷属に抗する闘争によって、支配階級に属する個人の発展のための国家が、被支配階級の諸個人の発展にとって、ますます『一つの全く幻想的な共同態』として桎梏として立ち現われる。労働者階級は、これに抗する普遍的団結において諸個人の全精力を発展させつつ」と、国家、共同体に対抗する普遍的団結という視点を明らかにしている。しかし、この普遍的団結は階級的団結の規定、すなわち、敵階級との対抗の中での階級的団結とは性格が異なる。従って、階級的団結と区別された団結の規定はない。部分と普遍という規定は、対象ないし、闘争エネルギーとの関係での規定ではない。この点がテーゼにおいてはあいまいにされている。
党の規定は、「労働者階級の階級への形成、したがって党への構成」という関係の中にあり、この国家に対抗した「普遍的団結」との関連の中に党は位置付いていない。ここに党組織と階級形成論と区別して独立に、それには作用しない形で述べられている。そして党は、あくまで階級的団結と階級闘争の枠内に位置付けられているのである。
党の単なる発展的展開ということで良しとすることは、階級的団結と階級闘争の単なる発展的展開で革命になるという論理が基礎になっていなければならない。
ここに階級形成論―党組織論―戦略論の相互交流のあり方が浮かびあがってくる。
すなわちこうである。
階級形成論としては、資本の侵害に対する団結の結合、発展を基礎に階級対階級の闘争を通して、階級的団結を形成する。党組織論はこれを基礎に階級的団結を党の団結性格とする。戦略論は、「当面の要求を永続的に高め、普遍的な社会的政治的運動に向かい、政治支配能力を手に入れて、『各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる新たな協働体』を実現する」ということを基調に、階級闘争=政治闘争の中で、「来るべき決戦に必要なあらゆる要素が結合し、発展する」ということで、革命は楽観的に彼岸化される。
すなわち、階級闘争―階級的独立―階級政党という基調で統一されて、その展開としてコミューンまでという具合になっている。『永革』が、永続革命論と結びついた階級形成論であったとすれば、「テーゼ」は階級闘争と結びついた階級形成論であり、それに、戦略、組織論との相互関係から切れた形での国家に対する「普遍的団結」という視点が付け加えられている。(この最後の点が把えかえせば、60年代から70年代への飛躍のとっかりになってはいるのである)
この階級形成論が一定基礎にしている――もっとも先程見たように、政治闘争への発展過程が、階級闘争から革命への発展過程に言いかえられているようなところもあるが、――マルクスの「哲学の貧困」における階級闘争と革命の関係についての短い文章、「それまでは、プロレタリアートとブルジョワジーとの対立は階級の階級に対する闘争、その最高の表現においては、全体的革命となるところの闘争である。」ということに逆の文章としてある「コミュ―ンの真実の秘密は――所有する階級に対する生産する階級の闘争の産物」(フランスの内乱)であるというコミューンから把えた階級闘争の関係と統一した場合、ほぼ“階級闘争――コミューン”という関係で結合されることになる。そうすれば、階級的団結=党的団結の、階級闘争押し上げ方式でコミューンに至るという理論が出来上がる。
これは、60年代においては60年安保と三池の敗北の結合の中から、労働者階級の階級的政治的独立を追求するという極めて革命的な視点を明らかにし、実践していったという過程においては、実践的課題との関係
でみれば、その原理上の矛盾はあまりはっきりとは現れなかった。
しかし、この問題は、“戦後第二の革命期”への突入の中で、“革命に勝利する労働者階級の党の形成“という命題との関係の中で停滞の原理的基礎となったのである。
すでに70年12月総務委員会主催全国研究合宿において「階級的団結と革命的団結」の問題として討論提起している。しかし、その時点においてはこの問題はほとんど受けとめられずに終わっている。
@永続革命論は、スターリニズムのみならず日本小ブル思想に対するマルクス主義の地平からの根本的批判をなしとげた歴史的な論文である。共産主義的精神労働者の観念的普遍性の世界から歴史的な現実的普遍すなわち、プロレタリアートの団結と実践の発展その中における個人の発展の中に、生きて展開する現実的普遍性として明らかにし、スターリニズムの止場の方向と同時に、日本小スル思想の中に色濃く存在した個人的個人と観念的普遍性の関係としての普遍性の把握の常識的方法を打ち破り、日本の地に真実のマルクス主義の歴史を切り拓いた。
共産主義―マルクス主義という点から見るならば、解放派は、極めて偉大な理論的地平を切り拓いてきたという歴史をもっている。
階級形成論の永続命論上の把えかえされた意味についてはほぼ語り尽くされて来ている。階級形成論の発展という場合、この階級形成論の現実化の問題、プロレタリアート自身の実践的活動の理論とすることすなわち、戦略―組織論への更なる展開が課題である。このことが決定的に遅れている。この遅れは、ややもすると、活動上の確信を実践的な世界にではなく、把えかえされた共産主義的な意味において観念的に自己確認するような傾向さえ生み出す。そうすれば、あらゆる実践的眼界に目をつぶって主観的意味付与において、その実践をごまかしていくことにさえなりかねないのである。
A永続革命論を階級形成論へ、更に戦略―組織論へと発展させて来た『6』から「テーゼ」の過程への反省から引き出されてきた問題点を整理するにあたって、次の点がまず前提的に明らかにされなければならない。
階級闘争―階級的団結の現在的推進の単なる延長上に革命を位置付ける、ないしは、革命をどのように捉えるならば、すなわち、戦略論をそのような構造でたてるのであれば、組織論はそれとの統一において、心ず、階級的団結―党という規定が正しいことになる。この党は、階級闘争を推進することを任務とし、それを押しあげていけばいいことになる。このことは、安定期においては、まだその段階内においては、小ブルとの癒着を断ち切り独立し、政治的社会的な階級闘争を新たに構築することが戦略的な課題であったから、安定期の段階的方針としては、この階級闘争の先に革命があるのだという意味で、限定付きで正しいと言える。
しかし、この事を本質的な理論としてしまうと、すなわち安定期にも革命期にも運用する理論としてしまうとどうなるか?
資本と資本家階級に対する社会的政治的な対決としての階級攻防戦、よりも広い舞台の上では停滞した狭い理論になる。それは革命期の深まりの程度に応じて、それは停滞から後退に転じていく。革命かまだ早い時期には現われない矛盾が、顕在化し、そして革命が近づけは近づく程、それは革命の課題を受けとめ得ない、古い、もはや誤れる無用の理論としてほろびてしまうものになる。
何故なら、階級闘争と革命の間には一つの転化があるからである。
特に革命期においては、党の問題をたてるときは、プロレタリア革命への実践的衝動が広汎に生み出されており、従って、それに勝利するという目的との関係でその直結の質を捉えねばならない。
もし、現在の大衆の衝動の中に、そして将来の闘いとしても階級闘争と革命の間に能化がないのであれば
革命は階級闘争の地続きの単なる最高到達点にすぎない。そうであれば、党は階級闘争を押し上げる任務を持てばいい。しかし、現実には転化がある。これは現象的な意味ではなく本質的なものである。従って、革命期においての党建設は、階級的団結の発達した革命的団結としてのみ現実的であり、党建設はそのことをめぐる。従って、党建設の質がプロレタリア革命をめぐって問われる以上、党建設(論)の基礎になる階級形成(論)が、その領域を空白にしたり、カッコに入れていたりするならば、党建設に向かわれる質が不断に否定されつつ党建設を追求するという矛盾に陥らざるを得ないのである。
革命期における党建設は、安定期のように、“階級政党”という性格だけでは党建設にならない。同時に、“革命党”としてしか党たり得ないのである。
70年代に入っての党建設の作業停滞ということは、プロレタリア革命を目指しつつ、しかし、階級形成論が従って組織論が“階級闘争―階級的団結―党的団結”どまりになり、戦略―組織―階級形成論が肉バナレしていることの反映であるのだ。
理論が安定期の段階においては党建設の積極的理論となっていても、革命期の段階においては解党的理論に転化することにもなるということ、従って、過去の段階に限定して通用した理論をそのまま教条的に新たな段階に持ち込むことから来る停滞を突破すること、更には、結果的にはそのような段階を超えて本質論として扱われてきた理論の本質論としての誤りを突破することである。
B以上のことを前提にして“階級闘争と革命”“階級的団結と革命的団結”“階級政党と革命党”の関係について述べる。
革命とは何か? その史的唯物論的意味を明らかにすることからはじめなければならない。そのことを通して“プロレタリアートと革命”の関係を再把握する必要がある。(永続革命論の中の展開は、“共産主義とプロレタリアート”というテーマで述べられている)というのは、多くの党派が共産主義論との関係で頭の中でひねり出した、単なる理論的目的として革命をたてて、その実体をプロレタリアートと規定するようなやり方しかできていないからである。そうすると、党は、目的主義的な主体形成主義となる。それが極端化すれば、その「目的」に向けて己れを「手段」とせよという形にまでなる。目的の完全な主体からの分離と疎外である。そして革命へのエネルギーと手段を「目的」を立案した疎外された存在が探し、物理力化しようとする。
プロレタリア革命の歴史的必然性とプロレタリアートにとっての自己解放のための目的としての革命の史的唯物論的意味の把握は、このような「革命目的」のたて方そのものに対する批判である。
『ドイツ・イデオロギー』では、「プロレタリアートとブルジョアジーとの対立は、階級と階級に対する闘争、その端的な表現においては、全体的革命となるところの闘争である」と階級闘争と革命の関係が述べられている。『ドイツ・イデオロギー』では、この点については次のように扱われている。
「生産力と交通形態との間のこの矛盾は、歴史の基礎をあやうくはしなかったけれども、われわれの見たようにすでにいくたびかいままでの歴史のうちにあらわれたのであって、そのたびに一つの革命となって爆発せざるを得なかった。そのさいにこの矛盾は同時に種々の副次的な姿をとった。すなわち衝突の総体としては種々の階級の衝突の姿、意識の矛盾としては思想闘争など、政治闘争などの姿である」
更に、革命については「共産主義的な唯物論者が産業ならびに社会的編成の変革の必然性と条件をみる」別の表現としては「生産力、資本および社会的交通形態のこの総和こそ哲学者たちが『実体』や『人間の本質』として心にえがいてきたもの――種々の世代のこれら既存の生活条件はまた、周期的に歴史においてくりかえされる革命的叛乱が、あらゆる現存するものの土台をくつがえさずにたりる程強力であるかどうかをも決定する。そしてもし全体的変革のこれらの物質的な諸要素、すなわち一方では現存の生産力、他方では革命的大衆の形成――たんにいままでの社会の個々の条件に対してではなく、いままでの『生活の生産』そのもの、この社会の土台だった『全活動』に対して革命を行うところの大衆の形成――が現存し
ていたならば……」となっている。
それは結論的には次のように表現されている。「この革命では、(一方)これまでの生産様式ならびに交通様式と社会的編成との力が打ち出され」と。
そして革命の必然性とエネルギーについては次のように展開している。「……これら種々の条件は、はじめは自己活動の条件としてあらわれ、あとではそれの桎梏としてあらわれたが、歴史的発展全体のうちではひとつながりの系列の交通形態をかたちつくる。これら諸形態のつながりは、桎梏となった前代の交通形態のかわりに、一層発展した生産力に―したがってまた諸個人の自己活動の一層進歩した方式に対応する一つの新しい交通形態があらわれ、今度はこれらがまた桎梏となって、さらに他の交通形態にとってかわられるというところにある。」「そしてさらに前代の利害は、その特有な交通形態がすでに後代の利害にふさわしい交通形態によっておしのけられてしまっていても、なお長い間、個人にたいして独立化されたみせかけの共同体(国家・法)のうちに一つの伝統的な力をもちつづけてゆく。この力は結局はただ革命によってのみ打破されうるのである。」
「かれら(逃散農奴)はただ、およそ一つの桎梏から自己を解放するすべての階級がするのと同じことをしたにすぎず、しかもその場合に自己を階級としてではなく、個別に解放したのであった。……このように逃散農奴は、すでに存在していたかれらの生存条件の自由な発展と貫徹を欲したにすぎず、したがって結局は自由な労働にまで到達したにすぎなかった。これに反して、プロレタリアは、人格として自己を主張するためには、かれら自身のこれまでの生存条件であると同時にこれまでの全社会の生存条件であるもの、すなわち労働を廃棄しなければならない。したがってまたかれらは、社会の諸個人がいままで自分達に一つの全体的表現をあたえるためにとった形態;すなわち国家に対してはまともに対立しており、そして自己の人格性をつらぬくためには国家をうちたおさなければならない。」
ここで言う交通形態とは、「貨幣の成立とともにあらゆる交通形態および交通そのものが偶然的なものとして設定され」「所有実施がすでに古代的および中世的な共同体から抜け出した時」生み出された「市民社会」のことである。この交通形態は「生産諸力によって制約されていながら、またこれらを制約もしている」ものである。
国家は「支配階級の諸個人がかれらの共通利害を主張する形態、そして一時代の市民社会全体が集約され、ている形態である。」
この国家とプロレタリアートの関係は次のように述べられている。
「分業によって人格的な諸力(諸関係が物的な諸力へ転化されているのをふたたび廃棄することは、それについて一般的な表象をわすれさせることによってはできず、ただ個人がこれら物的な諸力をふたたび自分たちのもとに包摂して分業を廃棄することによってのみできる。・・・共同体のいままでの代用物すなわち国家などにおいては、人格的自由はただ交配階級の諸関係のなかで発達した個人たちにとってのみ、そしてただかれらがこの階級の個人たちだったかぎりにおいてのみ、存在していた。いままで個人たちが結合して、つくりあげたみせかけの共同体はいつもかれらにたいして独立したものとなっていた。そして同時にまたそれは、他の階級にたいしての一つの階級の結合だったから支配される階級にとってはまったく幻想的な共同体だったばかりでなく、また一つのあたらしい桎梏でもあった。」という関係で述べられている。
以上、引用が長くなったが、『ドイツ・イデオロギー』の引用の中に革命の歴史的現実的必然性と、革命の史的唯物論的意味が要約されていると考える。
革命とは、階級闘争の単なる延長上にあるのではない。階級闘争の最高段階に革命があるということは正しい。なぜなら、「あらゆる革命的闘争は、これまで支配して来た階級へ向けられる」(『ド・イデ』)のであり、支配階級の打倒は、革命において実現されるからである。(「革命が必要であるのは、単に支配階級が他のどんな方法によってもうちたおされえないからだけではない」(『ド・イデ』)という表現に見られるごとく、革命が支
配階級を打倒するのであって、支配階級の打倒が革命なのではない。)
革命とは、結論的に言えば、資本制的生産様式とブルジョア社会と国家の桎梏を粉砕し、新たな分業を超えた共同体の下に生産力と交通を支配することを意味する。従って社会全体の転覆である。それはもはや階級的利害の衝突ではなく、プロレタリアートの階級的立場が、革命へ止揚されたものとなって実践されるものである。
『ドイツ・イデオロギー』においては、階級的意識と区別した形で次のように革命的意識すなわち共産主義的意識の発生を述べている。「生産力の発展において一つの段階があらわれてくる。この段階で生みだされるところの生産力および交通手段は、現存する諸関係のもとではただ災害をひきおこすだけであって、もはや生産力ではなく破壊力なのである(機械と貨幣)。―そして、それと関連して一つの階級がうみ出される。この階級は、社会の利害をうけることなしに社会のあらゆる重荷をおわなければならず、社会からおしだされあらゆる他の階級に対するもっとも決定的な対立へおいやられる。この階級は、すべての社会成員のうちの多数者をかたちつくり、そしてそこから一つの根本的な革命の必然性についての意識すなわち共産主義的意識が出てくる。」
更に、革命の普遍的性格については以下のごとく展開している。
「たんにかれらの自己活動に到達するためばかりでなく、そもそもかれらの生存を確保するためにも、現存の生産力の総体を領有しなければならないところまできている。まず第一にこの領有は、領有さるべき対象によって―すなわち―つの総体にまで発展をとげて普遍的な交通の内部でのみ存在するところの生産力によって制約されている。だからこの領有は、すでにこの面から見ても、生産力と交通とに対応する普遍的な性格をもたなければならない。」「この領有は領有する個人によって制約されている。あらゆる自己活動から完全にしめ出されている近代のプロレタリアートだけがかれらの完全な、もはやかぎらない自己活動を実現できる――」「近代の普遍的交通は、万人のもとに包摂されることによってでなければ、決して個人のもとに包摂されることはできないのである。」「さらにまたこの領有は、それがなしとげられねばならない方法によって制約されている。それはただ、団結―プロレタリアートそのものの性格によってやはり普遍的なものであるほかはない団結と、そして運命によってのみ、なしとげられることができる。」
以上のように普遍的団結と革命の必要性が「生産力と交通」との関係において述べられている。(敵階級との関係で普遍的性格が必要であったり、逆に普遍的性格が生み出されたりするのではない)
ところで、以上みてきたように、革命と革命的団結は、生産力と交通および国家を桎梏として突破するものであり、それゆえ普遍的なものであるが、この桎梏への転化、すなわち、「かれら自身のこれまでの生存条件であると同時にこれまでの全社会の生存条件であるもの」の桎梏への転化と、それに対して、「たんに自己活動に到達するためばかりでなく、そもそもかれらの生存を確立するためにも」革命せざるをえないプロレタリアートの自己解放の闘いについて、『資本論』は示唆的に次のように述べている。第1巻第7編第24章第7節において、「資本の前史」を述べているところで、「この生産様式は」「一定の高度に達すれば、それは、それ自身の破壊(?)の物質的手段をうみ出す。この瞬間から、社会の胎内では、この生産様式を桎梏と感じる力と熱情が動き出す。この生産様式は破壊さねばならず、破壊される」と。これは『ドイツ・イデオロギー』で展開していることと同じであるが、ここに資本制生産様式の崩壊の必然性と社会主義の登場の必然性を解く鍵がある。前者と後者の接縁をなすものとして、「この瞬間から社会の胎内では、この生産様式を桎梏と感じる力と熱情が動き出す。」ということをつかみとることができる。
だから、革命期とはとりもなおさず、大衆的に革命的意識と革命の活動が不断に生み出されるのであり、それを目的とする革命党が現実的エネルギーを受けて形成されるのである。
革命を単に「一般的目的」として掲げ、その後で「革命的エネルギー」を探し求めるというような小ブル革命党は、真の革命の党ではない。
革命党は、プロレタリアートの階級的団結―階級闘争の発展としての革命的団結―革命的闘争を基礎にして形成されるものである。
そして、この組織論は、戦略理論との関係として反省すれば、階級闘争の最高の到達段階における革命への転化を意識し、それに向けて自らを十全に鍛え上げていくものでなければならないということである。
革命期における、一方では不断に生み出される革命への衝動をうけた権力闘争の展開(権力闘争は議会制ブルジョワ独裁の崩壊期から開始され、過程と帰結を含むものとして用いるべきである)という階級闘争の中からの革命的エネルギーと団結を基礎に、他方戦略的に革命の決戦に必要な一切を現在的に準備していく意識性によって革命党の建設が進められなければならない。この党の団結こそが、革命的普遍的実践的団結である。
従って次のように、結論づけることができる。RWAのテーゼ及びそのテーゼを貫く原理論的問題は次の点において再検討されるべきである。
「哲学の貧困」は、革命にとって階級闘争はいかなる関連にあるのかを明らかにしたものとして捉えるべきである。そして社会的・部分的団結の発展について述べている「この間―真に内乱―の中で、将来の決戦に必要ないっさいの要素は結合し、発展する。」ということを、「こうして、階級対階級の闘争、政治闘争が発展する。この闘争の中で、来るべき決戦に必要なあらゆる要素が結合し、発展する。」「それは常に〈階級の共同の要求=階級の独自的要求―階級の歴史的使〉』を、一段また一段と鮮明にすることによってのみ、団結を発展させることができる。」という具合に、階級闘争、階級的団結の段階にあてはめることを通して、「階級への形成、したがって党への構成」と、“階級闘争と階級政党”で後は革命へ発展していくのだとしてしまうのであるから、これは単なる階級闘争の押し上げ主義による楽観主義か、又は、運命の彼岸化の革命に目をつぶった“階級闘争限定主義”にすぎないものとなる。
―革命期においては、もはや、“来るべき決戦”ではなく“さしせまる決戦”に向けた党の建設としてはじめて現実的であり、又、そういうものとして自己確立しうる。従って、この課題に答えない限り、革命的プロレタリアートの党たりえないのである。
だから、単に路線があって、それが正しいか誤っているか別にして、その路線に単に規定された党が迂闊に出来上がるなどということはない。そんな党は、現実の歴史から飛び出して、現実の課題との格闘と無な形而上学によって党が作れると思う人間にしてはじめて考えられるものである。だから我々の党建設の停滞はRWAの理論、戦略―組織論が、現実の課題に答えていないところから来るものとして扱うべきであり、党のあるべき姿を空想し、それと自己を比べるということではない、しかし、要請される革命党にRWAが飛躍しえていないということとして総括されるべきである。
ボルシェビズムを越えるということは、今やプロレタリアート自身が革命党を建設するという一点にかかっているのだ。
まさしく、以上みたような視点において、ロシア革命に勝利したボルシェビキの革命党としての要素を全面的に批判的に継承することが必要である。ボルシェビズム批判を中間的に行うと何にもならない。批判の、徹底性の上に全面的に教訓化することこそ問題である。ボルシェビズムの批判がボルシェビキの全否定となるとすれば、我々の内から革命党を否定していることと同じである。大胆に踏みこんで良いという保障、それはプロレタリアート自身が革命党を形成するという一点において成立しているのである。
全てのRWAメンバーが革命党員としてあらゆる部署、領域に再配置され、正されなくてはならない。プロレタリア革命党建設へ進撃せよ!
『6』が目指す党は「共産主義労働者党」「真実の共産主義的原則を血肉化した労働者党」と表現され分派闘争の主体は共産主義=革命的マルクス主義の原則に貫かれた共産主義者とされ「この分派による組織的で原則的な党内的闘争によってその『社民』的本質が現実的に濃厚されスターリン主義を克服した共産主義者を結集しつつ『共産党』に代って真実の共産主義労働者党の建設を進めることができる」と、共産主義者の分派闘争によって共産主義者を結集し党を建設するという組織方針である。
ここには、前衛の分派闘争から党へという、共産主義=革命的マルクス主義の原則によって党を建設するという回路しか述べられていない。党派形成、階級的独立を突き出しつつ、社民の小ブル性を突破したプロレタリア的分派を生み出し労働者党へという闘争と団結の形成との関連での党建設論はない。
従って社民内分派闘争が、プロレタリアートと小ブルとの癒着を断ち切った階級的=政治的独立の推進としての社民内分派闘争の戦略的必然性が明らかにされていない。
この『6』の分派闘争論は、一つは前衛のはたらきかけによって党を形成するという、党それ自身の形成の論理を不明にした党建設論、二つには、これまでの共産党が社民を解体止揚し得てこなかったことを総括しなければならないという二つの問題意識を論拠としている。
そして、分離の問題は「一層の前進を必要とする革命的情勢にある時」とされ、簡単にとびだすことは誤りであるとしている。
しかし、この方針は次の様な問題を持っている。
第一に、闘争と階級形成を基礎にした分派聞争として現実的である分派闘争の推進(実際はこのように展開される)が、社民と不断に激突する訳だが、この当然のことについて明らかにされず、革命情勢まで分派として存在し得るとされていることである。分裂はこちらがイニシアティブをもってのみ成立するように考えられている点は、分派闘争路線が共産主義=革命的マルクス主義の原則を鮮明にしているという姿として述べられていることと、無縁ではない。
実際には、党内に於ける衝突は現実的な大衆的衝突以前に意識性に於いて先行的に衝突となる。しかも、行動委員会、反帝闘争(プロレタリア政治闘争)の展開上の衝突を基礎に、もはや部分的ではない平和革命かプロレタリア革命かという帰結をもって衝突が生じる。従って実際には、この先行的性格をもった衝突が分派闘争の一段の帰結であり、この分裂の向うにこの分裂の性格を明らかにしての独自党建設と第二段の分派闘争(革命情勢下におけるプロレタリアートと社民の全面的新突を射程にいれた分派的争)へということが現実的である。
ところが、階級胸争の大衆的舞台で生じる衝突と党次元で生じる衝突のズレを問題にしえないとすれば、次の2つに分裂してしまう。
一方は、現実の闘いを突き出し、衝突し、向こうの論理によって排除され、びっくりする。他方は、革命的情勢下に於ける分裂を目指し、一切の闘いと主張をその目的のために抑圧することをもって社民を刺激しないで党内に居続ける。
『6』から直接出てくる理解は、一つは、階級形成と分派闘争の関係の無理解な分派闘争論、第二には、革命情勢まで中に居ることのための技術的延命、すなわち、プロレタリア運動と社民の衝突の回避のためのプロレタリア運動の抑圧を行うこと、これが『6』の教条的理解となる。
では、『6』の社民内分派闘争の意義を今日的にいかに把むべきか。
まず第一に、帝国主義の下での、分業の発達、独占資本の発達が必然的にもたらす、革命情勢まで中に居ることのための技術的延命、すなわち、プロレタリア運動と社民の衝突の回避のためのプロレタリアートの政治的階級的独立が実現されること、このことを、ドイツ共産党の社民解体の失敗のもたらす教訓として問題にし、分派闘争として貫徹することを直観的に明らかにしたことである。確かに、『6』の分派闘争論は労農派マルクス主義の評価を通して、「スターリン主義を克服した共産主義者」を結集しつつ」
と表現されているが、これは党建設論の未確立によるものである。第二に労働者党の建設を明らかにした事である、この『6』に於いては、前後組織建設と党建設がはっきりと区別された形をとっていない点がある。それは『永革』を通して克服されていると考える。
従って『6』正統派なるもの、それは『6』それ自体の限界の産物であり、むしろその限界に無批判に正統派であると考えるということは、実は『6』の意義をうち消すものである。
そもそも『6』の党建設論に関る項は、それ自体としては党建設論としては成立し得ていないものなのである。
ところで、社民内分派闘争論の『6』的理解の裏側には、先程も述べたように共産主義者の結集一党の建設という回路から、社民内分派闘争の意味が労農派マルクス主義との関連に於いて理解されるものとしてたてられることから、社民内分派闘争の必然性を疑うという見解が必ず出てくる、正当な疑問であると考える。しかしその事から、単に裏返して、共産主義的前衛組織の建設→大衆への働きかけ→党建設という理解のまま、分派闘争路線ではなくて独自党建設として進んでくればよかったという形で『6』の分派的争方針を総括するのは全く誤っている。階級形成論を基礎にした党建設論を通して『6』を反省するという視点を欠落して『6』の党建設論上の限界をそのままに、その限界の枠内で現実的な政治の論理をよく踏まえていない、しかしプラグマティックな傾向のある分派闘争方針を逆にプラグマティックに裏返したところで何にもならないのである。『6』の政治的現実把握の不充分な「現実方針」を把え返してその中に意味をつかむべきであって、過大な要求、評価をすることに誤りが生ずる。
前衛と党と大衆の関係、その区別と関連を解明する論理として述べられている問題と党建設論とを混同したりする誤りも又はっきりさせねばならない。前衛と大衆の矛盾の止揚として党の位置があるということは概念の関係であって、それがそのまま党建設論ではない。党建徴は階級形成を、従って闘争を基礎にして形成しうるものである。思想、理論はこれとの関係の中で団結を主体にしたものとして現実的理論になっていくのである。前衛が歴史に登場し、大衆に働きかけて、個人的に意識変革して集めることが階級形成ではない。階級形成諭は、ややもすると個人的個人の意識経世論とも言うべきものと混同されやすい。ルカーチや、60年代後半のブンド諸派が語っている「階級形成論」は「階級意識」を一般的に定立して、その意識をいかに大衆の中に形成するかという理論である。俗流「階級形成論」に対しては我々は繰り返し批判を加えてきたので今さらこのような混乱はないと考える。こかし、この点をはっきりおさえないと『6』の理解は、そのような傾向に流れるようなものを生み出す。我々は階級形成論をそれとしてまとめたものを持っていない。しかし、対象的な活動の中で、自からの側に生み出す社会的関係(人間的関係)の対象を越えるより普遍的なものへの発展という点をしっかりと踏まえること、この点を欠落するならば、個人的個人の単なる意識性の世界の観念的普遍性の発展にしか普遍性を発見することが出来なくなってしまう。活動を通して発展していく生きた、現実的普遍性をプロレタリアートの団結の中に見てとることができないのがこれまでの小ブル社会主義であり、日本の小ブル思想の西田哲学以来の特徴である。日本の左翼は、特に、共同体から個人として抜け出て、他の横に関係する個人を失ったその関係の中に普遍性を問題にするという思想ではなく、個人的個人として、普遍性を問題にし、つかもうとするから、神とかとか無とか物質とかと自己との関係の中に普遍を扱ってきたのである。この日本の左翼の限界を突破する基本視点をあいまいにしてしまうと、階級形成論も真の理解が出来なくなってしまう。
『6』の裏側にしろ「正統派」なるものにしろ、階級形成論からの『6』の意義の再把握こそ、教条主義的でない総括となるのだということを見落している。
解放派(東京)結成宣言―RWAテーゼ、規約の性格の中に第一インターの精神が盛りこまれている。これについて、次の点から再検討が必要であると考える。
まず第一に、国際組織であって、しかも、バクーニン派との共同組織であり、各国権力との関係の中に生み出される党組織と区別されるものであること。
従って第二に、その組織の目的は、国際的に通用する極めて一般的なものたらざるを得ず、テーゼの性格は各国革命党のテーゼの性格より一般的である。
従って、インターはインターとして、いかに形成すべきであり、又、インターとしての目的とテーゼとして検討するべきであり、党はこれと区別されたものとして把えることが必要である。インターを党と重ねて理解したり、又は世界党の如く考えるのは誤りではないか。
確かに、インターの内容を労働者党が踏まえるべき点がある。しかし、党をインターのレベルで考えるとすると、党の階級的革命的発展は抑圧されてしまうことになる。日本プロレタリアートは、単に「世界プロレタリアート」の日本に居るプロレタリアートではない。国際的関係の中にあることを前提にしつつも、日本の階級闘争と歴史の中に居るプロレタリアートなのであって、そのプロレタリアートの形成する党は、日本革命を担う労働者党である。国籍に左右されない利害を貫くという活動の内容は獲得されていなければならない。しかし日本革命の具体性をもった党の形成としてのみ現実的な党建設となる。すなわち、日本国家権力の打倒をめざし、プロレタリア権力を樹立する労働者党は、この権力とのしのぎあいの中に実践的に鍛え上げられるものである。従って、党のテーゼの基本性格のレベルを第一インターに重ねて理解することについては方法上再検討が必要である。
解放派が未分化に含んでいた前衛と党の要素は、革労協建設として一定の要素を結実させた。しかし、前衛組織の要素は現実的に定立されていない。ということは、革労協の中に不断にその要素が継承されんとする傾向をもつものであり、未分化な解放派の時代の延長上に革労協がありある。ということは、革労協を党へ形成していくという目的が、前衛組織的要素と混じり、あってその目的を純化して進めることができないということである。
革労協を党の萌芽として建設へ向うということは、解放派の中に含まれていた共産主義的前衛組織建設の方針を分化して定立するという整理を必要としている。この共産主義的前衛組織は、共産主義=革命的マルクス主義の原則において一致し、理論的普遍性と革命的実践力を備えた共産主義者の結集体として厳格な基準の下に作られるべきであると考える。これは単に、党指導部という性格や基準で作られるべきではない。党指導部として優れているということと共産主義者は全く別である。だから、共産主義的前衛組織を定立するということは、それとの関連で党の位置が鮮明化されていくのである。
党の理論活動と共産主義的前衛組織の理論活動には区別がある。これを混然とさせておくならば、党は前衛組織の薄められた理論性と、逆に、行動委員会的始動とを折衷したようなものにしかならなくなってしまう。党の位置の定立は、より普遍的なものの定立を通してそれとの関係においてのみ可能である。
<以上>